今回は、クレイジーココの家族構成は?生い立ちや経歴プロフィールも紹介していきます!
クレイジーココさんと言えば、自身の経歴にもある「キャビンアテンダントを元にしたあるあるネタ」でお笑い番組をはじめバラエティ番組にも多数出演している今注目度大の芸人です。
実は、お笑い芸人を志したのは35歳の時で決して早いとは言えない年齢。
商社やコンサルタントなどの経歴を経て27歳でエミレーツ航空のキャビンアテンダントに転職したのに、どうして芸人の道を志したのでしょうか?
クレイジーココさんの家族構成やその生い立ちを深堀しつつその多彩な経歴とプロフィールを紹介していきます。
それではじっくりとご覧ください!
クレイジーココの家族構成は?
クレイジーココさんの家族構成は、父と母の正子(まさこ)さんとココさんの3人家族でした。
ココさんが2歳の頃、父親がALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、入院生活を余儀なくされココさんが14歳の頃他界されます。
その後、ずっと母と子の2人二人三脚で過ごしてこられました。
母正子さんは旦那さんが入院している頃からおよそ40年、大阪の北新地で飲食店を切り盛りし、常に笑顔を絶やすことなくお客さんが絶えないお店だったそうです。
ココさんの友人達もお母さんに会いに行くと、元気が貰える気がするとココさんが不在でもお店に足しげく通う程でした。
ですが、母正子さんも度重なる病いでお店を閉めることになってしまいます。
実は、ココさんがエミレーツ航空を退社したのもお母さんの病がきっかけでした。
母正子さんは娘ココさんが芸人となり活躍する姿を喜び、テレビで楽しみつつも2023年の12月に亡くなってしまいます。
クレイジーココの生い立ち
35歳で芸人を志したクレイジーココさんは、どのように育ちそして育てられたのでしょうか?
ココさんが物心がつく頃には、父はすでに入院しており母は一家を支えるため飲食店での仕事と子育て、病院での介助など毎日大変な日々を送っていたそうです。
幼い日の思い出としては、「常に時間がなかった印象」と語っています。
父親がALSという病気と言うこともあり、父に代わりに日々たくさんの重要な決断を瞬時にやっていく母の姿をまじかで見て育ったココさん。
決められた時間の中で、とにかく早く自分の答えを出さなくてはならない環境下で育った事は、やがてココさんの「一度きりの人生を悔いなく生きたい!」という強い思いにつながっていきます。
自分自身の状況を客観的にとらえ、現状に満足しているか?悔いなく生きられているか?満足してないならどう行動するのか?というマインドセルフが最高にうまいココさん。
自分に備わった行動力はお母さんの育て方が良かったからと語ります。
母正子さんはいつも娘のやりたい!という気持ちを大切に見守り育ててきました。
- やりたい!と言った事に対して一度も否定されたことがなかった
- 年齢を理由にやめた方がいいと言われたことがなかった
- やりたいと思ったことはそのタイミングで始めたら決して遅くないよと勇気付けてくれた
ココさんが35歳で芸人を志した時も、自分の年齢を理由に躊躇するということはまったくなかったそうです。
もし自分が母正子さんだったら、娘が35歳で芸人になる!と言ったら、一旦落ち着かせてもう一度考えた方がいいんじゃない?と説得しそうです。
母正子さんの器の広さと子を尊重する親心の深さに驚かされるとともに、芸人として活躍するココさんの姿を見るのが一番の楽しみだったのかなと想像します。
クレイジーココの経歴
多彩な経歴を持つクレイジーココさんですが、芸人になる前はどんな経歴を辿ってきたのでしょう?
また35歳で芸人の道を志したきっかけとは何だったのでしょうか?
ココさんは幼少からクラッシクバレエやダンスの習い事をやっていたそうで、文化祭や友人の結婚式の余興など、人前で体を使って表現する事で観ている人が喜んでくれるということを体感します。
この時から「エンターテイナーになりたい!」という思いが芽生えたそうです。
人気急上昇の現在までどんな道のりを歩んできたのかを紐解いていきたいと思います!
商社時代
流通科学大学を卒業後、持ち前の英語力を生かしてタオル商社へ入社します。
ところが英語力を発揮するどころか中国担当を任されることになってしまい次第に転職を考えるようになります。
入社してすぐにやめてしまうと後の転職活動に影響が出ることを考え、結局この商社で3年程勤務することになります。
エミレーツ航空時代
友人からエミレーツ航空のキャビンアテンダント募集があると聞き、早速応募するも1回目の挑戦は不合格に終わってしまいます。
ただここで諦めないのがココさん。2回目の募集で合格するため、商社で働きつつ半年ほどキャビンアテンダントになるための予備校に通いついに合格を勝ち取ります。
エミレーツ航空でキャビンアテンダントとして働いている時も、普通に働いても面白くない!という理由から、なんと白目で給仕してお客様にばれずにできるか?など同僚だけでなくお客様さえも楽しくしてしまうココさん。
このような振る舞いから同僚には「クレイジージャパニーズ」と呼ばれるようになります。
また「のりこ」という名前も外国人には覚えにくい事から、ココ・シャネル、ココナッツからココを拝借し、自己紹介ではココと名乗っています。
芸名「クレイジーココ」はこういう理由だったのですね!
エミレーツ航空では4年半勤務。母の病気が発覚し退職することを決めます。
コンサルタント時代
エミレーツ航空を退職後、持ち前もの英語を使って英語学習コンサルタントや建設会社に勤める外国人労働者を対象とした就労サポートの職に就きます。
やりがいを持ち働きつつも、キャビンアテンダントの時の自分を超えられないことにジレンマが生じることも…。
またこの時、新型コロナに感染し2週間程入院することになってしまいますが、これが人生を大きく変える1つのターニングポイントだったとココさんは語ります。
この入院がきっかけとなり、現状を打破したい!一度きりの人生を悔いなく生きたい!という思いが高まり、以前からの夢でもあるエンターテイナーの道を歩くことを決めます。
芸人の道へ
通常ならお笑いの養成所に通うこととなりますが、この時35歳。養成所に通うことは断念し、別の方法で芸人になれないかググってみると…
女芸人のNO.1を決める「THE W」の第一次エントリーをみつけることになりこれが大きく人生を変えることになります。
ココさんはお笑い養成所をショートカットし、いきなり「THE W」の一次エントリーに応募します。
このバイタリティーと行動力は流石としか言いようがありません!
一次エントリーは動画審査で、なんと退院後にすぐ動画を撮影し応募。アマチュアながら最終的に準決勝まで進むことになります。
準決勝の様子をみた吉本興業のマネージャーからスカウト。
女芸人としてデビューすることになってしまうという強運だけではない半端ない行動力を発揮して最高の結果をもたらしてしまいます。
もしエミレーツ航空を辞めなかったら…
もしコロナに罹患しなかったら…
もし母が病気にならなかったなら…
クレイジーココさんが芸人になることはなかったのかもしれませんね。
クレイジーココのプロフィール
クレイジーココさんは、本名:井上 徳子(いのうえ のりこ)1986年9月6日生まれ(2024年現在37歳で独身)大阪箕面市の出身です。
神戸市にある流通科学大学在学中に、1年休学して10か月ほどオーストラリアへ語学留学しこの時英語をマスターします。
経歴のところでも紹介しましたが、英語学習のコンサルタント時代はTOEICのリスニングで満点をとったそう。(本人談)その英語力にはかなり定評があります。
趣味は旅行、ヨガ、料理。
母とはイタリア、スペイン、ハワイ等10か国以上旅行に出かけるなど、とても仲がよく自身も母と行った旅行が一番の思い出と語っていました。
身長は170センチ、足のサイズは、右26〜26.5cm、左27cmと女性としてはやや大きめのサイズ。
自身のYouTubeチャンネルでは、大きい足でお悩みの方へ向けた「国内海外のおすすめの靴ブランド」を紹介したり、自身の英語力から「おすすめの英語学習法」などさまざまな発信でファンを喜ばせています。
クレイジーココの家族構成は?生い立ちや経歴プロフィールを紹介!まとめ
クレイジーココの家族構成は?生い立ちや経歴プロフィールを紹介をお届けしました。
家族構成は、父と母とココさんの3人ですが、父はココさんが14歳の時に母は昨年12月に他界されました。
ただココさんの行動力やバイタリティの原点は家族にあり、その生い立ちからも現在のココさんが様々な経歴を経て芸人として輝いているのは容易に想像できますね。
プロフィールでもご紹介したとおり、ココさんは母正子さんが元気な時に、国内外たくさん旅行に出かけています。
先行投資してでも母正子さんと楽しい思い出をたくさん作りたかったと話すココさん。
人によって何を一番に持ってくるのかということは様々あるけど、クレイジーココさんにとって一番大切にしたかったのは、家族であり母とのたくさんの思い出作りだったと感じられます。
これからも私たちを笑わせてくれるクレイジーココから目が離せませんね!