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終わりに見た街ラストシーンの意味を考察!最後にタイムスリップしたのはいつでどこだった?

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終わりに見た街のラストの意味を考察!最後にタイムスリップしたのはいつでどこ

今回は、終わりに見た街ラストシーンの意味を考察!最後にタイムスリップしたのはいつでどこだった?をお送りします。

2024年9月21日に放送されたテレビ朝日開局65周年記念ドラマプレミアム「終わりに見た街」は令和から昭和19年の戦争渦にタイムスリップするSFストーリーです。

実は2005年にも中井貴一さん主演でドラマ化されているのですが、今回は、大泉洋さんにかわり新たにドラマ化されました。

ドラマのラストシーンを最後までみた視聴者からは「最後までみたけど結末の意味がわからなかった!」「えっ最後のラストシーンどういうこと?続くの?」など結末について疑問が上がっています。

ということで今回は、終わりに見た街ラストシーンの意味を考察!最後にタイムスリップしたのはいつでどこだった?をお送りしていきます。

それではじっくりとご覧ください♪

 \原作とドラマの違いを見るのもアリ!/  

 

 

目次

終わりに見た街のラストシーンの意味を考察!

大泉洋さんが演じる田宮太一は、テレビドラマのライター。

妻ヒカルと中学校2年生の娘・信子、小学校5年生の稔の4人家族で、平穏に暮らしていましたが、ある日突然一家は家ごと、戦争真っただ中の1944年(昭和19年)にタイムスリップするところからドラマがスタートします。

いきなり過去にタイムスリップしてしまった家族は、太平洋戦争渦で何とか生き延びようとその時代に暮らす一般人に紛れて生活することを余儀なくされます。

激しくなる戦争渦に翻弄される太一家族。戦争を知らなかった子供たちも国のために働くことが当たり前という意識に次第に毒されていきます。

太一とヒカリは、昭和20年3月10日の東京大空襲の際に、少しでも助かる人を増やそうと当時大きな被害を受けなかったエリアでもある上野方面に逃げることを噂として流した始めるのです。

すると、これまで太一が参考にしてきたライター資料(史実の文献)と少しづつ変わり始めてしまうのです。

昭和20年3月9日の0:00過ぎから大空襲が始まる予定のはずなのに、かなり早くから空襲は早まり、避難していた安全な場所までも大規模な空襲と爆発に遭遇してしまいます。

その大きな爆風を受け太一が目覚めた場所、そこは壊滅状態の現代の東京だったのです。

予期せぬ爆風がトリガーとなり、太一は現代の東京にタイムスリップすることになります。

自身が記録用に持っていたスマホのポップアップ音で目が覚めた太一は、左腕の激しい痛みに襲われます。

東京大空襲の爆風がトリガーとなり、昭和から現代にタイムスリップした太一。

電波がつながったスマホには、寺本プロデューサーのSNSへのポストがどんどん流れてきました。

この投稿ポストがドラマ「終わりに見た街」の結末のカギを握っていたようです!

 

黒幕は寺本プロデューサー?

ドラマ「終わりに見た街」のラストシーンでは、寺本プロデューサーがSNSに投稿したポストの内容が聞き取れなかったという方も多かったはずです。

寺本はただウェ~イ!と騒いでるように見えますが、実はこのセリフはかなり重要だったのです。

寺本プロデューサーのセリフ

「こんな時だからヴィンテージワイン開けちゃう?」

「ワインセラー最後。誰か地下シェルターに飲みに来ない?」

寺本は、「こんな時だからヴィンテージワインを開ける」と言っており「地下シェルターに誰か来ないか」と呼びかけています。

この投稿が意味するのは、寺本プロデューサーの能天気な投稿ではありません。

今直面している核戦争の危機を蚊帳の外状態で眺めている態度と、非常事態であっても一部の特権階級の人たちだけは対岸の火事で居られるということを示唆していると考察しています。

また寺本プロデューサーは、戦争になることを事前に予見していたとも考えられ、未来と過去を行き来できるタイムパラドックスという可能性も否定できません。

寺本は、すべてを知った上で自身の手を汚さず自分が助かるための準備をしていたのでは?と考察しています。

戦争が起こることを知っていながら、戦争真っただ中の時代に太一をタイムスリップさせ、過去を変えさせようとした。

過去が変わればおのずと未来も変わることは容易に予想できます。

以上のことから寺本プロデューサーがこの物語の黒幕だったのではと考察しています。

 

おばあちゃんが若返っていたのはなぜ?

ドラマのラストシーンでは、認知症だった88歳のおばあちゃんがなぜか10代の姿に若返っていたのはなぜでしょうか?

空襲が始まって逃げる時、おばあちゃんは確かに新也におんぶされていました。

理由として考えてみると、ドラマ「終わりに見た街」はタイムスリップというSF的な要素が強い設定です。

おばあちゃんは認知症の症状が見られつつも、過去の自分を再体験することで徐々に若返ったように描かれています。

これは、戦時中の知恵や経験を家族に伝える役割を果たすためであり、過去の経験が現在にどのように影響を与えるかというメッセージを強調していると推察します。

また「おばあちゃんがタイムトラベラーだったから?」「死の間際最後に見た太一の幻覚?」など多数考察されていますが、実際のところは明らかになっていません。

 

終わりに見た街最後にタイムスリップしたのはいつでどこだった?

太一が最後に大きな爆発を食らい、スマホのポップアップ音で目が覚めるとそこには東京の高層ビルが建つ現代にタイムスリップしていました。

ただそこは、平和な現代とは程遠い壊滅的な状態の東京都市だったのです。

太一は爆風を受けたことで現代にタイムスリップしました。

目を覚ますと、信じられない光景が広がっているのですが自身も瀕死の状態になっていました。

そこで同じく爆撃を受け必死に水を干しがる男性に水筒の水を飲ませ、「今は何年か?」と尋ねます。

その男性が息を引き取る前の最後に言った言葉が、「202X年…」

太一は、202X年の核戦争渦の東京に戻ってきたのです。

現代に戻りスマホの電波がつながってたくさんのSNSの投稿が入ってきたことから、そこで見た風景は、爆撃を受けた現代の東京だったことがわかります。

 

終わりに見た街ラストシーンの意味を考察!最後にタイムスリップしたのはいつでどこだった?まとめ

今回は、終わりに見た街ラストシーンの意味を考察!最後にタイムスリップしたのはいつでどこだった?をお送りしてきました。

東京大空襲を免れるはずの場所で大きな爆撃を食らった太一。

目が覚めた時、そこは202X年現代の東京だったのです。

でも、そこは戻りたかった平和な東京とはかけ離れた、核戦争で爆撃を受けた後の破壊されてしまった東京の情景が広がっていました。

「東京大空襲で亡くなる人を一人でも多く救いたい!」

その想いで太一は大きな空襲がある下町に逃げるなと叫び続けていたことが原因で未来が少しづつ変わっていきました。

太一が抱く想いは一見正しい行動につながった様にもみえます。

でもその結果未来が変わってしまう危険性と引き換えだったことをも意味しているようにも感じてしまいます。

そして、ドラマの黒幕であろう寺本プロデューサーは、事前に現代でも戦争が起こることが何らかの形(タイムトラベラー?)で予見していて、すべてを知った上で太一たちをタイムスリップさせたのでは?と考察しています。

また戦争知らない子供たちでさえも、戦争渦にタイムスリップしたことでその思考はどんどん戦争に毒されていくこと、戦争は常に身近にあるというメッセージではないのでしょうか?

常に時代は繰り返しており、戦争という同じ過ちを犯してしまう可能性は、現代においても常にあるということ。

ドラマ「終わりに見た街」は、令和になった現在においても戦争に加担する可能性は十分あると言うことを作品を通して表現していたのではと推察しています。

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